2015年12月6日日曜日

トンボリは何故、道頓堀♪

12/2 大阪出張 仕事も終え投宿先は

心斎橋!となりました。







お友達と食事の前に、若かりし頃のにとって馴染みのふかい 
トンボりを少しぶらりお散歩♪





 
いやでも耳に飛び込んでくる、歓声や会話を聞いていると
近隣アジアからのお客様でいっぱいです。

日本人含有率5%?くらいかな?
爆買い観光バンザイ!


侵略でないのがありがたい(笑)







おっと...話を戻してと....道頓堀!でした。
「どうとんぼり」には 「とんぼり」「どとんぼり」
などと・・・
人や世代によって呼び方も様々


ではなぜ「道頓堀はナニ?」っとスマホにむかって
音声質問でググります。






スマホ曰く

”大阪市中央区の繁華街および町名。
同所の北を流れる道頓堀川の略称”

・・・・と出てきました。
 

知ってるし! 
Σ(゚д゚lll)そんなこと知りたいんじゃないし(´・ω・`)
 






 
さらにスマホに質問を続けると..こうでした・・


大阪城お堀の南端が堀止になっていた時代に
東横堀川と西横堀川を結んで木津川へ注ぐ堀川の開削が開始され

安井道頓(成安道頓)という方が
新川奉行に任命され堀が作られたとの由






大坂の陣で新川奉行の安井道頓戦死しましたが
新川開削事業は引き継がれ1615年(元和元年)に完成。。。

最初は新堀・南堀川・新川などと呼ばれていたそうです。


当時の大坂城主の松平忠明が道頓死を追悼し、
功績「道頓堀」命名したとの事!






ちなみに・・・
トンボリ周辺には「九郎右衛門町」「宗右衛門町」
人の名前がついた町名がありますが
これは堀の開削にあたり周辺の再開発にむけて
在住お百姓さんとの折衝調整貢献した
今井道頓家に出入りの
お百姓さん名前なのだそうです。
 

庶民からついた地名には嬉しくなりました。
やはり大坂は昔から庶民の町だったのですねヽ(*´∀`)ノ


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