日本人ならほとんどの方が知っている話です。
毎年この時期になると盛り上がりますね。
↓
12/21 出張の帰路...Air予約便の時間調整を使って
乗換駅の泉岳寺に赤穂浪士の墓参に立ち寄ってみました。
事の発端は今から三百年ほど前
京都からの勅使饗応の儀式の接待担当を時の将軍徳川綱吉から
播州赤穂は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に
その役目が命ぜられました。
京都からの勅使饗応の儀式の接待担当を時の将軍徳川綱吉から
播州赤穂は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に
その役目が命ぜられました。
浅野内匠頭は誇らしかったでしょうね?
ところが・・・
経験不足のため高家のクセ者、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に
経験不足のため高家のクセ者、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に
教えを請いますが
意地悪な吉良上野介の嫌がらせや謀略にハメられ
大恥をかかされます。
意地悪な吉良上野介の嫌がらせや謀略にハメられ
大恥をかかされます。
サラリーマン界、政界、その他人間界では出世がかかっていれば
似たような事はあります(笑)
似たような事はあります(笑)
お人よし...は損をする!
プライドを傷つけられた浅野内匠頭は怒り心頭
元禄14年3月14日江戸城中「松の廊下」において吉良上野介に
刃傷沙汰!
刃傷沙汰!
やっ...やっちまったぜぃ~!(;^_^A スマン!
デンチュウでござる~🎵
殿中では乱心刃物沙汰は厳禁、厳罰!
浅野内匠頭は切腹を命ぜられ赤穂藩は、お家とり潰しに
一方、吉良上野介は将軍様に、どう取り入ったのか...?
お咎めなし!
おお~!なんと無体な~?
残された赤穂藩士たちは、赤穂城を明け渡すことになります。
家臣たちは家老の大石内蔵助と共に
君主が受けたこの理不尽な仇をとるため。
君主が受けたこの理不尽な仇をとるため。
元禄期 1702年(元禄15年)12月15日(太陽暦1/30)未明に
吉良上野介邸に討ち入り!
うりゃ~!いてもうたらんかい~🎵
この時代...仇討ちは無礼御免!
この時代...仇討ちは無礼御免!
周りの他藩屋敷も黙認・・・
武士の鑑、見事主君の仇を討ち吉良上野介の首をとりました。
そして両国から民の称賛を一身に受けながら
成就のパレードを行い赤穂藩と所縁があったここ泉岳寺で
君主の墓に仇首を供え仇討報告!
成就のパレードを行い赤穂藩と所縁があったここ泉岳寺で
君主の墓に仇首を供え仇討報告!
君主への忠誠心アッパレ~!
元祖スカッと・・・ですね(*^▽^*)
その後、君主の仇討ちと言えど事が事だけに
赤穂浪士四十七士は全員、切腹にて責を全うします。
最近「ハラキリ」が外国人にもウケていますね。
輸出外来語にもなりつつあります。
そんなこんなで四十七士の墓参をしました!
しかし・・・短気は損気!人間、貶められても
愚直に
しぶとく生きて行きたいものですね(*^▽^*)
↑
神の声: おまえさんは何時でも何処でもユルユルすぎるゾ!
どなた様も年の瀬迫り、愛する家族、部下のためにも
短気を起こしませぬように・・・
短気を起こしませぬように・・・
くれぐれも...くれぐれも・・・ご用心!
「 出来ぬ堪忍!するが堪忍」
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