2018年2月24日土曜日

備讃瀬戸大橋に想う♪

岡山県倉敷市で幼少期を岡山市で10代後半を過ごした
私にはとても感慨を感じるです。



小学校1年生のころ(1964年頃)
あちこちに「夢の瀬戸尾橋を架けよう」等の
スローガンや
架橋運動のステッカーが貼られていました。








愛媛に両親の実家が合ったことから四国に渡る機会も多く
そんなのような
渡って大好きな爺ちゃん婆ちゃん
逢いに行きたいと
子供心に思ったのを覚えています。








架橋ルート候補も
「宇野-高松Bルート」「玉野-高松Cルート」
「児島-坂出Dルート」と三つあり


中学、高校時代には
事あるごとにどのルートになるのか皆さん
気になっていました。







そして...オイルショックでの予算縮小
漁業補償問題難行などいくつかの架橋事業の危機を経て

着工1978年~1988年 10年近くかけて
Dルートで完成

当然、構想計画当初の技術では難しかったのでしょうが
目覚ましい科学技術や架橋技術の発達で
難題をクリヤーしていきました。


渡橋見た7歳少年
渡るときは既に30歳になっていました!

(*^▽^*)






架橋構想から半世紀以上、完成から30年が経ち
7歳の少年は還暦を迎え。。。


昨年平成29年(2017年)には
「日本の遺産20選」にも選ばれました。

いやはや...時の流れは早いですね!








子供の頃から構造物大好き!
橋を見れば
橋の向こうがあるのか?ワクワク!


これからも人類だけでなく紛争や人種で
隔たったものにも科学平和
けていくでしょう。



人類未来かる夢橋
向こうには平和豊かさが沢山あってほしいと
願う今日この頃です。



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